無料ブログはココログ

« 2014年2月 | トップページ | 2014年4月 »

2014年3月

2014年3月31日 (月)

番馴染みがある

何があるわけでもなく誰のせいでもなく、ただわたしがぼんやりしているがために毎日が慌ただしく過ぎている云淡风轻。本も読めないし、切り紙も編み物もしない。そういう時間を作る気になれないまま一日が終わってしまう孤独の中で絢爛

花はどんどん咲いていくいつも私のそばにいて

五番目のミヤコワスレは「江戸紫迷失在你心里

ミヤコワスレと言えばこの紫色の花に一番馴染みがある休闲的夜晚

バラの中で一番最初に咲きそうなのは、ブルーインパルス。つぼみが色付いてきた私の世界に属する

さて、週末なる前に明日はフジの花を見に行きたい、白いフジが見たい…と思うのだけど、平日でも人は多そうだし、人がたくさん居るところに行くのはいやだな宛在未央的思念、べつに行かなきゃいけないわけじゃないし…などとぐちゃぐちゃ考えているときっと、出かけはぐる。じぶんにタイマーをかけておいて、出るときは出る! みたいな仕掛けを考えないとね The most beautiful scenery

2014年3月27日 (木)

詳しくはこちら

ドドっと冷え込みが厳しい今日の我が家です。

蓄熱暖房機のファンを入れ、サーキュレーターを稼働させました。多少マシですが、ファンを入れる前は23℃設定なのに、20℃でした。外気温は7℃ど手でいます特有的味道

蓄熱暖房機から少し遠いところの温度計は18℃。今は蓄熱暖房機は22℃をさし、遠いところは19℃。サーキュレーターは多少効果があるようですが、まだまだ暖かいとは思えないので、あとは着ぶくれて対応です隨意的詩

今年はまだ電気炬燵を出していないので、それも急務ではありますが、今作っているサイトが出来上がってからと1日伸ばしになっています相遇那天。炬燵を出したが最後、我が家の家族2匹と1人は全員集合になるに違いありません。

サーキュレーターは下から上向きにしているのですが、本当にこれでいいのか、とネット検索していましたら、天井の形状や吹き抜けなどの場合によっては違うようなことが書いてありました翻拍技巧
我が家は平屋ですが、天井は「へ」の字型なので、この場合は上からの方がいいみたいです。でも中2階の物置部屋があるため言葉では表現できない天井構造になっています。なので上からと下からの両方がいるのでは?というような歲月如歌、、、。説明はあきらめます^^;

湿度が低すぎると寒く感じると書いてあるところもありました。
昨年は30~40%くらいまで下がりました。これも寒いと感じる原因のようです若如初見
去年はこの乾燥でドライアイになり(パソコンのやり過ぎが原因かと思っていましたが、空気の乾燥も原因になるそうです)眼科にかかり、加湿器を買おうかとも思ったのですが、高かったので、観葉植物を買い込みました。マシになったのかどうかわからないうちに春がきました去黑頭

この乾燥は洗濯物が室内干しでカラっと乾くのが利点です。洗濯物が少しは加湿器代わりにもなっているのですけどね白雪幻想

全国的に冷え込んで、明日は紅葉が美しいらしいです。
この土日が最高なんだそうです一種深藏

高島市は紅葉の見どころがたくさんあります(桜の季節もたくさんあります)。


行くなら明日がチャンスなのですが、一度見てみたい処女湖(今津ヴィラデスト近辺)付近はワンコは入ってはいけないことになっています。1人で行ってもいいんですけど、できたら散歩を兼ねて一緒に行きたい私です。
なので、多分明日も内職しているでしょう盡情疼愛自己。ご近所紅葉も充分に美しいですしね。らいつもの農道夕散歩に出かけました。

2014年3月25日 (火)

横道にそれた

会社勤めの頃も餃子は手作りし、伊賀に住まいしていた頃は心若在夢兒就在、酵母を育てパンを焼き、餃子も手作りし、畑で大豆を育て、味噌も作るという、リアルな私を知っているヒトからはイメージに結びつかないような、まめまめしい生活していたのだが愛情秘密???。最近はすっかりズボラになってしまっている歲月

と、いつものように話が横道にそれた。

その贅沢なアワビ粥、色が緑最容易做錯事情、、、なんでやろー。と思いながら一口食べたら磯の香りが口の中に広がり???。私これ苦手やった。
アワビの内蔵が一緒に煮こんであったのだ破世

私、貝の内蔵がとてもとても苦手だった???。あの磯臭いのがどうにも???。だから旅先の漁港なんかでガソリンのニオイと磯の香りが混じったのを嗅ぐと、胃がひっくり返るような、どうにも船酔い的な感じになるのが常だった。

だけど、せっかくの珍しいもの、食べないともったいない義派。アワビ入っているし、ということで朝ごはんに半分、昼食に半分と完食知己味道

朝はちょっと胸が小ムカで、ほどなく収まった。
もったいないお化けは恐ろしいもので、小ムカになっていたのに、昼食にもコリもせずに残りを食べたら天堂的紅地毯、今度は大ムカになり、お腹具合も悪くなり、結果トイレで冷や汗をかくということになってしまった。

アワビは本当に柔らかくて美味しく、これにはあまり磯の香りがくっついていなかった珍惜知己。お粥のほうがしっかりと磯の香りと味が染み付いていた。それもそのはず、添付されていた「紙」を読んだら、新鮮なアワビを内臓ごと長い時間煮込んだものと書いてあった。
磯の香りと味は、私の味覚と胃腸にはどうにも相性が悪いようだ愛到八分最相宜

2014年3月19日 (水)

頭の中は研究

「陸沈(りくちん)」という言葉があるこぬか雨

ふつう、水に沈むことはあっても陸に沈むことはないが嫁は嫁で
こんな言葉が一般的な言葉としてある。
この「陸沈」、
現代の造語ではなく古代中国の書『荘子』の中に出てくる言葉切り裂き魔

意味としては、
隠者と呼ぶべき人物が、俗世間の中でひっそりとした人生を歩みながらも、
こころは、常に世俗を超越し、
そしてある、それを悟られないように振る舞うこと、という意味になる。

すなわち、世俗の中に生き、目立たずに埋没している様子を表わしている長らく

研究者と呼ばれる人たちも、それに近いところがある。
俗世間の中でふつうに暮らしながらも、
心の中は、俗世間から超然としていて、頭の中は研究のことでいっぱい希望だったかしら

そう言えば、
今回、新しい万能細胞(STAP) の作製に成功し、
世界的な注目を浴びた理化学研究所の小保方晴子さんの
エピソードの中に小春日和の穏や
「デートをしているときも研究のことが気になった」とある。

まさに、世間でふつうに暮らしているようだが人生はメリーゴーランド
心は超然としているというところだろう。

このたびの画期的な成功がなければ、
一人の研究者として、ひたすら「陸沈」だけの生活だったかも知れない日本の憂うべき

この成功で、目立たぬ「陸沈」状態から、脚光を浴びるようになったのは、
小保方さん自身よりも、

彼女が着ていた割烹(かっぽう)着かも 物語の成立の背景

2014年3月17日 (月)

青山劇場で

青山劇場で、日本テレビ開局60年特別舞台「真田十勇士」を観た。演出は堤幸彦氏。
エンターテイメント性たっぷりの舞台だった恋上一种风景。周囲にちらほらとお茶の間感覚のマナーの方がいるのが最初は気になったのだけど、だんだん、そんな風に楽しんでもいいような気さえしてきた。観客を惹きつけて離さない、中村勘九郎さん演じる猿飛佐助、素晴らしかったな Silence blooming

先日、朗読教室があったときに、聞いている人を泣かすことができたら成功ですよねとおっしゃった人がいた。表現力もさることながら、舞台を観ていると、聞き取りやすい言葉を発することができるかどうかというのが重要なのが分かる。演技の上手な役者さんでも台本がよくても The hour of departure、そのセリフが聞き取りにくいと残念。素人のわたしたちはもっともっと声出しを頑張らねばならないのだろうなあ。

ところで、今日は4列くらい前の通路側の客席に堀北真希さんが座っていらっしゃったある人が耳を傾けてか 。先日の満島ひかりさんもそうだったけれど、ああいう方たちは休憩時間にも席を立たない。そりゃあ、あのトイレの長い列に並ぶわけにもいかないだろうし、いろいろ大変だなあと余計な心配。カーテンコールの途中で退席されていた幸福的笑容

2014年3月14日 (金)

私の家のおかず

先日、私の仕事仲間の新婚さんがめでたくご懐妊。
が、つわりがひどくて、仕事が終わって帰宅すると速攻で横になり、
夜ご飯も作れないとの事愛と行動のペン
なので、毎日 私の家のおかずを多めに作り、タッパーに入れて差し入れしております。
お浸しとか白あえとか、だいたい我が家のおかずは質素なもので、
子どもからは「こんな情けないおかずをあげるわけ?うちの食生活のひもじさが知れて
恥ずかしいやんか」と言われながらもせっせと運んでおりますwenhuisi
先日、80近い私の母にその話をした時、母が
「あんたが結婚してから子どもを産むまで何年間も、仕事帰りに毎日私がおかずを
持たせたのを覚えてるか?」と言うので
「ヤバイ、一人暮らしの母を放っておいて他人におかずを差し入れてると知って、
小言でも言われるのか…」と 思ったら、母は
「人にしてもらった恩は必ず別の人に返すようにできてるんや。それが助けあいというもの
や。私にしてもらった恩はその人に返しなさい。」と笑いながら言いました。
なるほどなぁ、と思うと同時に、母の懐の大きさに結構感動し、こういう考え方の人に
育てられた私は幸せ者だなあ としみじみ感じたものです。

私の父は5年間寝たきりの後に亡くなったのですが、母や私は毎日時間交代で介護に
病院通いでくたくたでした。
その時に母は週1度お弁当のサービスを受けていてHEARTが燃えている、父が亡くなった後は、「恩返し」と
言って、独居老人や介護をしてる人に週に一度お弁当を作って届けるボランティアグループに参加し、今も続けています。
「自分が独居老人やのに、自分こそお弁当をもらえば?」と私などは言うのですが、
「できる時に人にできる事をしとくんや。人に受けた恩は人に返す最有深度,最不简单、親にしてもらった事は
子に返す、こういう事は順ぐりなんや」とサラっと言う母はすごい。
私など母と同じ歳になってこの言葉が出るかどうか…
今は頭も身体も元気で、お筝の先生をしながらボランティアや孫の世話に明け暮れてる母ですが、
「親孝行 したい時には親はなし」 の言葉のように、母がいるうちに親孝行をと思いつつ 、
ついつい放ったらかしどころか 今だに世話になりっぱなしの私。人としてまだまだやなぁ美容天地
と反省しきりです…。

2014年3月12日 (水)

それまで台所の水は

「排水口の詰まり? そりゃお困りでしょう、明日(元旦)朝10時に修理に
行きますわ。」
元旦から来てくれるの!? なんてありがたい一片寂寞! 嬉し~いっ!
「奥さん、それまで台所の水は使わないで下さいよ」
うっそ~ん…

てな訳で、大晦日にはおせち作れず、洗い物は風呂場で行い、細かいネギや
天ぷらの衣がある年越し蕎麦や汁物も諦め、スパゲッティとチャーハンで
年越しの晩食换种心情
元旦の朝から臭い排水口の修理と後片付けとおせち作りをする羽目になった訳で…

昼過ぎにやっとお雑煮が出来上がり、そこでダンナが「まぁ アンタらしいわ叹人生苦短
ギリギリまでほっとくからや」の一言に星一徹しそう(テーブルひっくり返し)
になったのでした。

ああ、どうか今年は平穏な一年になりますように… ホントに偶然と偶然

私の怒りを沈めてくれた野田さんの人参とかぶ。年末に訪れた農家の野田さんは
ブロッコリーと大根と人参の収穫・袋詰めに大忙し。紫人参と黄人参が入った
セットはとてもかわいい。 今年もわがNPOでは野田さん人参箱入りを販売してます。
送料がネックですが、甘くてジュースにも最高の人参です私たちの愛と傷
写真は見渡す限りのブロッコリー畑と野田さん。色々な人参詰め合わせ。野田さんが
どんな人かは人参の記事を参照に、(動画つきです)。
詳しくは こちら。

2014年3月11日 (火)

く残金スッカラカン

あくる朝、フラフラの私たちは、カウンターで青い顔した兄ちゃんに別れを告げ、
「土産を買って残った金を使い果たそう」と近くの店へ。でも欲しいものがない wushieng
買いたくない物を買うのも腹が立つ。ヨーロッパでは欲しい物も我慢して節約してきたのに。
考えた末、「世界共通価値のものを買おう! そうだ、貴金属や!」と怪しい宝石店へ。
残金は一人2万ほど、それで私はネックレスと指輪を、友人はピアスを買い
(このピアスを買ったがために友人は「日本に帰ったら耳にピアス穴を開けんならんやんか!!」
と怒っとった。) めでたく残金スッカラカン The past is past

「やったーっ!! ついに使いきったぞーっ!、さあモロッコへ行くぞ!」と喜んだのも束の間、
「しまったーっ!!、駅までのバス代残しとくの忘れたーっ!」… 。

一気に真っ青…。
でもここがアルジェリアの素晴らしいところ、店の前で立ちすくんでる私たちに、またまた
「どうしたどうした」とワラワラと寄って来たアルジェリア人男達、「バス代がない?
出してやる出してやる、困った人を見たら助けよ、それがアラーの教え」と皆がそれぞれ
お金を出しあってくれ、無事私たちは駅に着くことができたのです Life in the sky
こうして約1週間のハードで濃いアルジェリア生活と別れを告げたのでした。

その後、モロッコで数日過ごしてまたヨーロッパへと戻り、ここで友達と別れて一人で
西ヨーロッパ、北欧、東欧、トルコ、パキスタン、タイを回りました reishisi
タイで出会ったキレイな日本人の旅行者に私が 「こんにちは」 と挨拶した時、
「わぁ、日本語 話せるんですかぁ?」 と言われたり (バングラデシュとかスリランカとか
あたりの人に見えたらしい) 、出会った外国人に「どこから来た?」と聞かれ、
「私はジャパニーズだ」と言うと、「Oh、レバニーズ (レバノン人)! 」と言われるほど
すっかり様変りして帰国したのです The flowers bloom

2014年3月 3日 (月)

突然の思想変革と

私たちが暮らしていた下町からはもったいないの虫アマランサスの悲劇
たぶん車で5分ほどの距離だったと思うけど、
そこまでどうやって行ったのかも覚えていないし距離は幻想
連れて行かれたのは兄と私だけだったのかそれなら寒、妹もいたのか、
母も一緒にいたのかなど、ぜんぜん思い出せないイルミネーションの巻

いま10歳の次女よりも若かった私は、
酒癖の悪い父のことが好きではなかった半世紀

その父に連れて行かれたゲームセンターだったから
余計に好きになれなかったのかもしれない。

そのまま大人になるまでずっと
私は父のことが苦手だった至福の時間

父は人種差別も女性蔑視もする、アル中で酒乱の
とんでもない男だと私は思っていた。

だけど、父が育った時代背景を考えると、
軍国教育、戦争、敗戦、突然の思想変革と、
彼も飲まずにはいられないような人生だったのかもしれない母ちゃんドキドキ

父娘になるほどの深い縁があったのだからマンゴーの時計
もう少し父の話も聞いておけば良かったと
今さらながら私は思う初詣

« 2014年2月 | トップページ | 2014年4月 »